2010年10月5日火曜日

内から見る教育と外から見る教育



ちょっと教育に関するエントリー。


タイトル通りなんだけど、教育の「内」と「外」っていうものに対して。





今年の5月に自分自身塾講師のバイトを始めてはや5ヶ月が経過。


生徒たちと一緒に楽しんだり、生徒に授業を教えたりしている中で、本当にいろんなことを学んできたっていうことを実感してます。


こういう充実感とか責任感が教育に携わることなのか、と思ったりしてるところ。





ただこうやって教育に携わってくると、自分でも危機感をもっているところではあるんだけど、だんだんと教育の内側のみからの見方しかできなくなってきてしまうのかもしれない。


教育を外から見てたときとか教育に携わり始めたときに最初にもっていた考え方っていうのがだんだんと薄れていってしまっていることにちょっと怖さすら感じる。。





思うことは、教育において常に外部からのフレッシュな見方を受け入れていくことって実は非常に大切なことなんじゃないかなということ。


でないと、先生たちがいいと思ってたりすることっていうのが実は生徒たちの創造性・興味・独創性とかを奪ってしまう方向にいってしまうことも起こりうるんじゃないかと思うわけで。


教育っていうものは経験が重要なものだというのは間違いないけど、実際に誤った経験に頼って先生のほうも間違った方向で進んでることに気づかないっていう危険性もある気がする。


それに子供たちの自由な発想を引き出すっていうのは、もともと非常に難しいことだとは思うんだけど、実際にいまの先生達もそういう独創性を伸ばすっていう教育を受けてこなかったわけでなかなかそういうことを教えるのは大変なんじゃないかなと思う。


そんなときに必要になってくるのは経験じゃなくて、いかに客観的な視点からのアイディアをもっていけるかっていうことなのかもしれないと思ってる。少なくともそういう考え方を聞き入れていく、そういったスタンスはもっていきたいと思う。








最後に、自分自身の教育の方向に関して。


あくまで子供たちの好きにやらせたいなとは思ってる。


きっと自分の親の教育が放任というか自由にやらせてくれたから、自分自身そういう風に強く思うんだとはわかってはいるけど。。


間違ったことがあってもダメって決めつけたりせずに、とりあえずその方向で突っぱらせる。


そんで、どうしても「ヤバいな」って本人が気づいたときに手助けできる、そんな存在でいたい。





これっていうのは言う事は簡単だけど、実際にこうやって行動していくのはスゴく難しいことだし、本人が気付かなかった場合のリスクも大きいっていうのはわかってはいるんだけど、そういうふうにすることで独自性をもった生徒が多くでてくる可能性は高くなってくると思ってる。





留学中にアメリカの小・中学校でのボランティアも経験したり、大学での教育も実際にうけたし、視野をできるだけ広く保ったまま教育に携わっていきたいと思う。





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