2011年2月4日金曜日

あらそい



まず、、、


最近は自分なりに歴史の勉強をしております。


勉強っていっても、本とかをひたすら読むんだけじゃなくて歴史系のYouTubeの動画を観るのも勉強のうちだし、歴史小説を読むのも一応勉強に入ってたり、ネットで情報をインプットしていくのとかも全部自分にとっては勉強のうちってある程度幅広い意味で捉えてます。


なので、「勉強」とも呼べないものなのかもしれん。。


ただ、こんなんでもけっこうリアルに情報というのは入ってくるもので、自分としてはいまいちすんなり入ってこない書籍とか教科書的なものを読むよりも明らかに効果がありそうな気がする。





だけど、勉強している歴史の範囲は明治以降限定っていう。


たった百年ちょい。。


本来は平安時代とか鎌倉時代とか何百年も前のことっていうのも知っているべきなんだろうけど、今の自分にとって優先度っていうのでそこまで高くない気がするので近代に限定させてしまってます。。





そもそもなんで歴史の勉強をしていこうと思ったかっていうと、自分の国に関して何もしらないっていうことをちょっとまずいな、と思ったので。


それは2年前の留学してた時も常に感じてた。


高校時代は日本史を選択してない自分にとって、中学時代の知識が支えてるっていう。。。


しかも今となってはほとんど何も覚えてないし。ヽ(´~`; ォィォィ (爆)








そんなかんだで、昨日は家でDVDを2つ観ました。


観たのは「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」


これも自分なりの歴史の勉強のひとつ。


この二つの映画は硫黄島でのアメリカ軍と日本軍の戦いを両国の立場から描いた物。


硫黄島からの手紙を観たのはこれで二回目。


前回観たのはちょうど1年前くらい。


アメリカにいる留学の時のイタリア人の友達が硫黄島からの手紙を観てひどく感動したらしく、その時に自分にも観て日本人としての視点からブログにその感想書いてって言われたので観ることになった。


その時のエントリーは下にリンク貼ってあります。


ただし、英語で書いてあるので。。


"Letters from Iwo Jima" on Shota Kikuoka's Blog





二つの映画を一日で観ていろいろと考えさせられた。


今こうやって何気ない暮らしをしているけども、そうすることが許されなかった時代もあったんだと思うとなんか心苦しい気持ちになった。


いま自分の暮らしっていうものを「点」でとらえると、全て自分のものであると勘違いしてしまうんだけど、過去から続く「線」としてとらえると、自分だけじゃなく祖先であったりそういう人たちからいろいろと生かされてるんだな、と。






それに今、朝鮮半島で衝突しているけども、自分自身改めて思ったことはなんとしてでも戦争っていうものを起こしてはいけない、ということ。


たとえそれが正義のためとかっていういかなる名目であっても。


たとえそれが最終的に北朝鮮に住む人々を救うっていうことになっても。


国レベルっていう「広い見方」でとらえると、いくらでも争える理由っていうのはだせるんだろうけど、それぞれ個人がもつ暮らしっていう「限られた見方」をすると、失っていい命っていうのはないんだから。


失うものがあまりにも大きすぎて得るものが小さすぎる、そんな気すらしてしまう。





2つの映画には本当にいろいろ考えさせられました。





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